映画感想『ゾンビの中心で愛を叫ぶ』

昔Amazonprimeにて視聴した映画の感想をここに記録しておく。ネタバレを気にする方はブラウザバックを推奨する。

タイトルは『ゾンビの中心で愛を叫ぶ』だ。
間違いなくB級のゾンビ映画だろう。当時そう思っていた私は、見事にその期待を裏切られることとなる。

ゾンビ映画ではないのかもしれない

舞台はゾンビパンデミックによって崩壊しつつある、大きなマンションだ。
オープニングの最後にでかでかと『ZOO』の文字が表示されたので、原題は「動物園」だったのだろう。邦題とは随分違うが……それはまぁ、よくあることだ。

問題は、この原題『ZOO』を意識するか否かで映画の見方が大きく変わることだ。
私は大きな大きな黄色い『ZOO』の文字を強く意識してしまったため、そちら側に偏った感想になる。この映画が純粋なゾンビ映画だと、それでいて好きだという方は、この先を読まない方が良いだろう。

これはゾンビ映画ではない

ゾンビは出てくるし、その特殊メイクもなかなか良い。
マンションの一室に閉じ込められる形となった若い夫婦二人が、救助を求めるため窓にテープで『×マーク』をつくり、残る物資で日々をやり過ごす。大抵のゾンビ映画はなんだかんだ言って強引に脱出する。しかしこの映画は最後まで脱出しない。珍しい、良い設定である。
しかし、これらの設定は全てミスリードなのかもしれない。そう思えてならないのだ。
何故なら、彼等は冒頭で薬物を乱用して正気を保っておらず、ゾンビ化した隣人は胸を撃たれるとその場に倒れ、死亡しているからだ。

胸に一発撃たれて倒れるゾンビなんて、私は認めない。

ことからして 、この舞台設定全てが彼ら二人の妄想である可能性が高い。
ジョーカー2のタイトルにも書かれていた思い当たるこの現象は『二人狂い』というやつだ。

これは都会に住む孤独な男女が心中するまでの物語だ

自分の意見が言えない男と、自分のことしか考えていない女は、どう考えても共感できるようなキャラクターになっていない。陰謀論を語ったり、現実逃避をしたり。互いをまるで理解しようとせず、言葉で愛を伝えてはいるものの、行動がまったく伴っていない。

そんな二人はゾンビパンデミックの幻想を共有したことをきっかけにして、ようやく協力を覚える。薬をキメて、今日も楽しく生活用品を盗み自宅へと持ち込むのだ。隣人の老夫婦が尋ねて来たり、強盗が押し入って来たりと、彼らの平和な営みを阻む連中もやってくる。しかし固い絆で結ばれた二人は断固たる意志で生き残る。
ちなみに、老夫婦も強盗も皆死亡するのだが、死因はゾンビではなく彼ら二人である。更にいうと、隣人の老婦夫婦と四人で共に暮らすことになってからのドロドロした修羅場が、この映画一番の見どころである。

度重なる非道な行い。自分たちが生き残れるならなんでもする。まぁゾンビパンデミックの真っ只中であるからして、仕方のないことだ。本当にゾンビパンデミックが起こっているのであればの話だが。

終盤になると、陰謀論の話を言い切る前に「こうだよね?」と先回りした物言いをするようになったり、相手を思いやってあえて怒ったり、セックス前の薬は不要になったりと、本当の愛情を獲得したかのように思えるシーンが出てくる。

そして互いを殺すことで、二人仲良くゾンビとなり果てるのだ。

このあたりのシーンは感覚的に、身勝手でしかないなと思えた。助けが来ないことへの絶望から突発的に無理心中を図ったようにしか見えなかった。

本当に愛情があるなら、拳銃があるのに自決すらせず殺してくれと要求するだろうか。
相手に生きてくれと思われているだろうに 、なぜ自分から食べられに行くのだろうか。
結局最後まで、彼等は自分のことしか考えていなかったように思える。

衝撃のラスト

主人公である二人が死亡して暫く。なんと、救助隊がやってくるのだ!

これはとてつもない衝撃だった。救助隊が来ると言うことは、ゾンビパンデミックが実際に起きていたということに他ならないのだ。
加えて救助隊は二人をゾンビと認識し、ゾンビを倒す前に条約的な文章を読み上げてからワンショットで殺害する丁寧ぶり。

ゾンビは実在していたのだ。

人を殺す瞬間はしっかり映すのに、ゾンビとの争いはできるだけ映さない。一番の盛り上がりが老夫婦(人間)との修羅場だ。それでもゾンビを第三者が認識している以上、これは立派なゾンビ映画なのだ。胸に一発喰らって倒れるゾンビを許容できなかった、私が間違っていたということである。どうやら余計な詮索をしていたようだ。

それにしても条約をいちいち読み上げて制圧していたとは。
よくこのマンションの一室まで踏み込めたものだ。
それと救助隊の隊長が日本人にしか見えない。他の登場人物は全員白人だったはずだが。

隊員の一人が「こ、これはいったい……」と動揺している。
二人仲良く鎖に繋がれているゾンビは相当珍しい。無理もないだろう。

日本人にしか見えない隊長の顔がアップになる。そして冷静に、静かに、言い放った。

「愛だ」

映画は唐突に幕を閉じた。

総括

邦画タイトルの決め手は最後の台詞に間違いないだろう。
字幕版で同じシーンを見返しても「love」と発音していたので、改変はしていない。

この最後の言葉、非常に皮肉めいた言葉に思えてならない。

原題はZOO、動物園なのだ。当然、動物は一切登場していない。皮肉以外の何物でもない。セックスシーンには微かながら猿の鳴き声すら入っている。

明らかに純粋な夫婦愛映画ではない。
ジャンルとしてゾンビ映画であることは間違いないが、ゾンビ映画だと胸を張って言い切れるかというと、違う気もする。
低予算B級ゾンビ映画にしては映像も角度もずいぶんと良いのだ。
ゾンビメイクも気合いが入っている。OPとEDの映像だけ見ればA級だと見間違えかねない。

そのあたりがモヤモヤとして仕方が無かった。
そういう意味では、考えさせらる映画だった。

邦題も的外れという訳ではない。
「ゾンビの中心=ゾンビパンデミック」の只中であり、二人は愛を叫んではいた覚えがある。
原題の『動物園』の意図を抹消していることについても、日本人っぽいこ救助隊の隊長が「愛だ」と言っているのだから、日本的にはこれが愛なのだ。
ただそうなると、日本人に対する皮肉になってしまう訳だが。

とまで考え、ここまでとした。

様々な意味で期待を裏切られた、考察が捗る良いゾンビ映画だった。

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