映画感想『悪魔がはらわたでいけにえで私』

今回見た映画は『悪魔がはらわたでいけにえで私』だ。

タイトルを見るだけで、そういうのが好きなんだなと分かる。
視聴者層はかなり限定されそうだ。
好みが完璧にマッチした私は、ウキウキで視聴を開始した。

必要ないとは思うが、念のため説明する。

本映画は『悪魔の生け贄』や『死霊のはらわた』といったスプラッタよりなホラーが好きな人向けだ。細かいことは良いからゴア表現が見たい!という方にはよりうってつけだ。
そういうわけで当然、この映画は人を選ぶ。一応R-15ではある。
痛々しいというより、気色悪さを前面に出しており、リアルな虫も出てくる。無理な人は無理だろう。
私と同じくタイトルでウキウキしてしまう人間は、ネタバレ無しで視聴していただきたい。上映時間は六十分と短いので、是非。

序盤からアクセル全開

開幕で目に止まるのは、車の助手席でアホ面をした女優の顔だ。それが気になって、誰かの家に向かっている的な説明がまるで頭に入ってこない。とりあえず金髪の男が一人と女が二人乗っていたことは分かった。

家に到着する。断熱材代わりと思われる大量の新聞紙が全ての窓に貼られた家だ。
ありがちな脅かし描写と共にぼさぼさ髪の男が登場する。いかにも人を呪ったりとかしてそうだ。こいつが黒幕に違いない。
果たして悪魔か死霊か殺人鬼か。そう思いつつ視聴を続けた。

ぼさぼさ男がお茶を準備している間、一人の女が何故か家の奥へと入っていく。
女は家の奥にある物置に入ると、その柱に貼られた明らかに怪しい御札を、無言で恐る恐る剥がし始めるではないか。そして当たり前に女が悪霊に取りつかれる。

初めの数分が嘘みたいな急発進。この映画にはビールが合いそうだ。
邦画ホラーらしからぬこの唐突さが、本映画の面白いところである。

大抵のホラー映画は、いやB級ホラー映画であったとしても、導入には古い歴史やら悪霊がどうとかいうだろう。しかし本映画はそういった理由付けやら動機やらが徹底的に存在しないのだ。

唐突に起こる何か。その勢いと馬鹿馬鹿しさには笑みが自然と零れてくる。
これは作品を馬鹿にしているわけでは決してない。ホラー映画への愛を感じるが故だ。

紹介に戻ろう。
御札が剥がれたことで何かしらの封印が解かれ、女は憑依された。
特殊メイクが実に良い。首が回転するあたり、エクソシストもしっかり取り入れている

金髪男が抵抗虚しく殺される。緑色のゲロが原因なのであろう、感染でもしたかのように蘇り、彼も襲いかかる。シンプルにピンチだ。

悲惨な状況の只中、ぼさぼさ髪の男は素知らぬ顔で眉ひとつ動かさず、お茶を用意している。
目が見えない設定なのかもしれない。

残った革ジャン女に「何か殺せるもの無い!?」と言われた男は「殺せるものなんてあったかな~?」と言ってノソノソ物置に行く。当たり前のようにチェンソーを持って戻ってくる。

どうやら目は見えるようだ。異形だけ見えない設定なのだろう。

ぼさぼさ男は手に持ったチェンソーを、異形と化した金髪男の方に渡した。

いったいどういう事なんだ。予想を裏切る展開の連続に私は混乱した。

そして達した。

理由は分からないけど、面白いからいいか。そんな、無我の境地へと。

なんやかんやあって残った革ジャン女は生存し、血まみれで家を出ていくのだった。

満を持して主人公登場

場面が切り替わり、BARのカウンター前で亀甲縛りをされたリーゼントの男が映り込む。
音楽関係の仕事をしているらしい、舌で口のガムテープを剥がして調子に乗っているリーゼントの男。後に察することになるが、この男が本映画の主役である。

彼の演技が最高に良い。後半に映り込み続けるあの悲壮な表情は暫く忘れられないだろう。
だがそれは、後半になっての話だ。
亀甲縛りをされたこのBARの中では、まだ真価が発揮されていない。

男がもう一人縛られて捕まっている。
何故か亀甲縛りをされていないその男と協力して縄を解いたリーゼントは、
男が人体模型のような外見をしていることに気づいて急におどおどし始める。

一緒に捕まっていたからといって、仲間とは限らない。彼はきっと、そう考えたのだろう。
超常的な理解力から「あ、あなたが犯人なんじゃ……?」と推理を決めると、人体模型男は一度カーテン的なやつに隠れて目を緑に光らせてから、襲ってきた。
このあたりは『SAW』のファーストを意識しているように思える。

脱出を試みる主人公。運が良かったのだろう、複雑で痛い仕掛けに阻まれることもなくBAR入り口のドアを開け放ち、地下階段から地上へと駆け上がろうとしたところで、新たな『何か』が登場する。
額に黄色い角を生やし、茶色の革ジャンを着こなし、両手の裾からはチェンソーが生えている。

彼女は冒頭で脱出した革ジャン女と同一人物だ。なぜ化け物になり、両手がチェンソーになってしまったのか。説明はないが、きっと壮大なドラマがあったのだろう。
この化け物となった彼女が、本映画のヒロインである。

先ほどまで捕まっていた男と革ジャン女とで挟まれる形となった主人公の状況は絶望的だ。手の施しようがない場面の中、主人公は諦めていると断定できない微妙な顔つきを見せる。

革ジャン女は両手のチェンソーを、人体模型男へと突き立てた。
主人公は隙をついて走り出し、無事脱出を果たす。しかし彼の表情はどこか悲しげだった。

このままいくと内容をすべて書いてしまいそうだ。
それは困る。映画を見て欲しいから書いているのだ。
次の展開を最後にして、まとめようと思う。

怪物との調和

映像が暗転し、黒背景に白文字で『一年後』との表記。
あのまま一年も経ったら、世界は崩壊してそうだ。

主人公が軽トラで畑が一面に広がる道路をのんびり走っている。割と平気そうだ。

彼は助けてくれたお礼が出来なかったと、一年経ってなお後悔し続けていたようだ。
かなりの善人ムーブだ。初めは亀甲縛りをされたリーゼントで、ガムテープを舌で剥がして調子に乗っていたというのに。

後悔のナレーションが終わると、彼は顔を右に向けた。

その視線の先には、一年前助けてくれたあの革ジャン女が、畑でしゃがみ込み両手のチェンソーで土を耕しているではないか。

とっさに車を止め、駆け寄る主人公。
「ギャッ!」という元気の良い声で挨拶を交わす両手チェンソー革ジャンヒロイン。
感動の再会シーンなのだろう。

彼女の語彙は「ギャッ!」のみであるため、その意味は推測しかできない。
ニュアンスから察するに、自宅に招待するとのことだ。

自宅へと案内される主人公。見覚えのある家屋が目に入って来る。
冒頭で惨劇が起きた家だ。

冒頭で襲われ怪物となったままの、金髪の男とあまり特徴が無い女が出迎えてくる。
一年経ったことで、彼らは居付いたらしい。
主人公はここから終始困り眉で、彼らと日常を共にし始める。食卓を囲んだりもした。
ちなみにぼさぼさ髪の男は健在で無事に生存しており、生活を共にしている。

主人公が自作の音楽を流し、仲良く手を繋いで踊る姿は大変和やかだ。
音楽関係の仕事をしている設定もしっかり回収している。
途中で出てくるグロテスクな貴婦人に首輪を付けられているおじさん二人の動きがよりキモくていい感じだ。

しかしその調和を崩す二人組が現れ、事態は急展開を見せる。

説明はここまでとする。話が気になってきたなら、AmazonPrimeでさっそく視聴しよう。

総評

ゴア表現とシュールな笑い。その二つの要素のみをぐちゃぐちゃにして、ひたすら浴びせかける。ストーリー?整合性?そんなものはいらない! そんな意気込みを感じた。

目の前のシーンをただただ楽しんで欲しい。
余計なことを考えず、このゴアとシュールのみで出来た純粋な混合物を一気飲みして、一体何を見せられていたんだ……?まぁ、楽しかったし、いいか! という深酒に似た体験を、これを読んだあなたにもして欲しい。

私は最後まで笑顔でこの映画を楽しめた。
最後の最後の展開まで含めてだ。
あのモノリスは『2001年宇宙の旅』を模しているに違いない。

私が認識した小ネタは他にもあり、見逃している可能性は十分にあるだろう。
もしあったなら、こっそり教えて欲しい。

追記

AmazonPrimeを見た私は愕然とした。この映画の評価が☆3から☆2に下がっていたのだ。
どんな方向の映画なのか、タイトルを見れば一発で判断できるだろうに。
何故わざわざ覗き込んで、☆1をつけるのだろうか。頭が沸いているとしか思えない。

シナリオはとんでもなく破綻してはいるが、ゴア描写とシュールな笑いにかけてはかなり作りこまれている。端的に言えば、愛を感じるのだ。


特出すると、口の中から海外のゴキブリが溢れ出てくるシーンがあるのだが、スタッフロールを見るまではCGだと思っていた。スタッフロールを見れば分かるが、実物で撮影している。口の中に小鳥を入れる俳優は聞いたことがあるが、それをゴキブリでやっているのだ。俳優の名演に感謝を。

私はこの映画をとても評価している。
同監督が手掛ける『愚鈍の微笑み』『乾いた鉢』も見ることになるだろう。

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